アートを素材にヴィジョンを描くこと
太郎千恵藏(美術家、多摩美術大学講師)
はじめてヤン・フートを見たときのことは忘れられない。十数人の関係者を引きつれ、大きな瞳を輝かせとうとうと語りながらビエンナーレの会場を横切っていった。ハロルド・ゼーマンとボイスが二人で話しているのを遠くから見たことがある。帽子やベストに代わるようなアイテムが無くても、ゼーマンはボイスにキャラクター負けしていなかった。「フランチェスコです。」と自己紹介したフランチェスコ・ボナミは、最初、クレメンタのそっくりさんを気取っていた。
今回のEmerging Artists Support Program 展覧会企画公募の審査をしながら「キュレーターとはなにか?」と考えていた。応募期間が短かったこともあってか、応募者の身の回りから発想した現実的な、良くも悪くも等身大なプランが多かった。もっと実現不可能なプランをもってくる人がいてもよかったと思う。展覧会場に火山を造るとか、ドナルド・ジャッドの作品で食事をするとか、美術のコンテキストの上で常識の枠を超えた発想に触れたかった。そのような破天荒な発想を現実の展覧会に落とし込む手助けは、わたしたち審査員や主催者サイドでいくらでもできるのだ。もちろんEmerging Artists Support Program 展覧会企画公募は荒唐無稽な企画を応募しているわけではないのだが、この公募は一回の展覧会の機会を与えると同時に、これからのアートシーンを引っ張っていく可能性をもった若いキュレーターを発掘することが目的だとわたしたちは考える。やっと若いギャラリストたちがそだってきた東京で、美術のコンテキストがつくれるインディペンデントキュレーターが、フットワーク軽く作家と批評家、コレクター、雑誌編集者、美術館学芸員を有機的に関係させることでアートシーンを揺さぶってほしい。
モダンアートは、美術制作の外の発想を詩人や批評家からアーティストが取り入れながら発展してきた。美術内の問題に目を向けているだけではいられなくなった80年代以降の美術は、キュレーターが作品と美術の外の概念を対応させることよってその役割を果たしている。作品を紹介するだけではなく、作品に新しいコンテキストを与えるのがキュレーターの展覧会だ。マルタンのように美術を西洋の枠組みを越えて考えなおそうとする人。ダイチのように新しい世界観を提示する人。オブリストのように動きのある状況に展覧会を変える人。キュレーターは美術作品を素材に使って、作家という個人を超えたヴィジョンを提示する人だ。そしてその展覧会は、クールベが万国博会場のとなりに開いたレアリスム展のように、展覧会そのものがステイトメントになる。
今回は、youtubeという新しいネットワークを取り入れた企画と、台北と東京の作家の展覧会を二つの都市で開催するという、ヴァーチャルにあるいはグローバルに開かれた構造をもった二つの企画を入選とした。双方とも発想には新しさは感じられないが、企画の開かれた構造から、今回の展覧会が実現することによってなんらかの新しい出来事が起こる可能性にかけた結果である。次回は、より斬新な企画を期待している。