銀座のママを見習え
小崎哲哉(『REALTOKYO』『ART iT』発行人兼編集長)
編集という仕事は水商売に似ている。水商売は「接客業」と呼ばれるくらいで、要は客への気配りが大切だということだが、これはキュレーションにも当てはまる。そういう観点から見ると、今回の応募企画には少なからず失望した。
ほぼ全企画に共通する欠点・短所は以下の3点である。1)美術史的な教養に乏しく、過去に存在した展覧会をそれと知らずになぞっている。2)企画意図が言葉で補足されないとわからない。3)前パブも後パブも含め、広報の重要性を認識していない。 言い換えると、「独創性が欠如していて、ひとりよがりで、やったらやりっぱなしでかまわないと思っている(あるいは何も考えていない)」ということだ。つまり、「そこらによくあるタイプの店を、サービスの内容にも方法にも思いをいたすことなく、宣伝も客へのフォローもせずに開業しようとする」という姿勢にほかならない。開店できたとしても、直ちに休業に追い込まれることは必至である。
1)に関しては応募者ばかりを責められない。僕が携わっているジャーナリズムを含め、業界そして社会全体の責任でもあるだろう。2)と3)についてもある程度は同情できる。救いようのない連中は、手本とすべき先輩キュレーターにも多々見受けられるからだ。とはいえ、この世界で今後も生きていこうと志すのであれば、自助努力を行うのは当然である。エスコフィエや魯山人とは言わないが、せめて銀座の老舗バーのママや、下町の名物洋食屋の親父を見習うべし。
採用された
の案は、小割烹かカウンターバーのような印象である。もうひとつの岩井優案はパーティ料理、あるいはいまどきのクラブ的な発想。どちらも悪くはないが、新味と意外性と決定的なインパクトに欠ける。新しい料理の発明を新しい天体の発見に比したブリア=サヴァランに倣って言えば、僕たちは「新しい天体」を見たいのだ。さらに欲を言えば、料理と違ってアートには「毒」を盛り込めることを忘れないでほしい。「毒」を感じさせる企画は、今回は1案もなかった。
作家による自己キュレーションが21案中8案あった。「包丁一本さらしに巻いて……」という歌を想い出すが、いずれも展覧会企画としての完成度が低すぎる。「見せたい」という思いが先行するのはある程度仕方がないかもしれないが、だからこそいったん作家としての自己を突き放し、キュレーターとして客観的に企画を練る必要がある。料理には、もといキュレーションという営為には、方法論的な普遍性がなければならない。
応募総数21という数字は、年末年始を挟んだ短い募集期間を考えると悪くない。若いキュレーター及びキュレーター志願者に与えられる機会が、現状ではそれだけ少ないということだろう。若手アーティストの育成を使命とするTWSとしては当然の試みであるとはいえ、応募者に歓迎されたことはやはり喜ばしい。今後も継続することが重要だと考えている。